大ブリテン島(イギリス本土)には、紀元前からケルト人が住みケルト語を話していました。ところが、4世紀末から始まったゲルマン人の大移動の最中、アングロ、サクソン、ジュート人が大ブリテン島へと侵入し、ケルト人をアイルランドや大ブリテン島の北部へと追いやり、支配権を握るようになりました。
現在Englandと呼ばれている土地は、Eng + land ← Angle + land (アングロ人の土地)という意味なのです。アングロ人はもともと現在のドイツ周辺に住んでいた民族で、低地ドイツ語(より大まかな分類では西ゲルマン語)と呼ばれる言語を話していました。これが英語の原型であるため、英語の最も基本的な語( make, do, have, hold, bring, open, mind, house, breadなど)や文法はゲルマン語系から成っています。
ドイツ語には名詞に性(男性名詞、女性名詞、中世名詞)があったり、文中の役割に応じて格変化(例えば、I, my, me, mineのように名詞が変化する)も生じるので、初期の英語(古期英語)は現在の英語よりも文法が複雑でした。
9世紀から現在のデンマーク周辺に住んでいたデーン人が新たに大ブリテン島へ侵入し、中部イングランドに支配地域を作っていきます。11世紀前半にはこのデーン人がイングランドを支配するに至り、イングランドの王となったため、デーン人が話していた言語、古期ノルド語(ノルウィー語、スウェーデン語、デンマーク語などの起源になった言語)の影響を英語は受けており、多くの日常語がノルド語から借用されました( get, take, want, call, seem, same, sky, husband, seatなど)。また文法の簡素化もこの頃から始まりました。
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英語の歴史における大事件、ノルマン人の王ウィリアムズによるイングランド征服(ノルマン・クエスト)が起こり、言語環境が一変します。
ノルマン人の言語、ノルマン・フランス語(パリなどで話されていた標準のフランス語ではなく、フランス語の方言にあたる)が公用語となり、宮廷・議会・学校などで用いられるようになります。英語は庶民階級でのみ使用されるようになり、また学者や聖職者は書き言葉としてラテン語を使用していました。言語の3重構造が生まれたわけです。
肉を食べる上流階級はノルマン・フランス語のboef (=beef 牛肉)を使い、庶民はox(雄牛)やcow(雌牛)を使う。beef はフランス語を起源とし、cow はゲルマン語を起源としているのです。日本語なら牛に肉をつけて、牛肉となっているところが、英語では別々の単語になっている理由がここにあります。swine(メス豚、ゲルマン語源)とpork(豚肉、フランス語源)も同じです。英語が世界でも有数の語彙数をもっていることに、ノルマン・クエストが大きく関係しています。
1205年、ノルマン人のジョン王がフランスとの戦いに敗れ、ノルマンディー(フランス北西部の地方)の土地を明け渡したことをきっかけに、ノルマン人の貴族たちはイギリス人としての自覚を持つようになります。
また、フランスとの百年戦争(1337年〜1453年)の中、敵国の言語であるフランス語に対する国民感情から、1362年フランス語は公用語としての地位を失い、英語が再び公用語として復活したのです。
英語が主流になるにつれて英語に不足していた語彙がラテン語、フランス語経由で大量に入ってきました。文化水準の高かったフランスから積極的に語彙を借用したため、様々な単語がフランス語から取り入れられました。例えば、政治関係ではadminister, government, parliamentなど、法律関係ではcourt, judge, suitなどの言葉です。
またこの時期に、名詞の性や格変化が失われ、語順によって意味を表すようになり、文法が単純化されました。
さらに、書き言葉には長らくラテン語が使われていたため、書き言葉と話し言葉が分離していましたが、14世紀末にチョーサーが「カンタベリー物語」を英語で表してから文字としての英語も認知されるようになりました。
15世紀には「大母音推移(母音の発音の仕方が変化する現象)」が起こり始めます。しかし、音の変化を文字に反映させなかったため、発音と綴り字の不一致という英語特有の現象が起こる事となりました。例えば、timeはもともとは、timaと綴り、「ティーマ」と発音していましたし、fiveは「フィーヴェ」、rootは「ロート」、seekは「セーク」と綴りどおりに発音していました。
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近代英語に大きな影響をもたらしたのは、印刷技術の発展でした。
英語には多くの方言がありましたが、印刷する際にはスペリングを統一する必要がありました。ロンドンが印刷地であったため、ロンドン英語のスペリングが使用され、ロンドン英語が標準英語となるきっかけができたのです。
16世紀から17世紀(イギリスにおけるルネサンス期)には、文人たちが、英語の水準を高めようと、英語にない言葉を積極的にラテン語やギリシア語などから借用し、多数のラテン語が英語に定着しました(technic, analogy, anonymous, communicate, nominateなど)。原典のギリシャ語から新約聖書が、また原典のヘブライ語から旧約聖書が直接英訳されたのもこの頃でした。1611年に出版された欽定訳聖書は、改訂を重ね、一般に行き渡ったため英語の文体に影響を与え、聖書の英語が日常に入ることになりました。。
一方でフランス語からの借用も続けられました。しかし、以前のノルマン・フランス語ではなく、パリを中心とした中央フランス語(標準フランス語)から借用するようになりました。本来ラテン語やギリシア語源の言葉がフランス語を経由して英語に取り入れたり、ラテン語やギリシア語から直接借用したり、様々な形で言葉を借用したため、もともとは同じ単語であるものが複数存在したり(2重語、3重語)、本来1つの単語であるものが形や意味を変化させ、複数存在するケースも多数起こりました。例えば、fact(事実)はラテン語の「成されたこと、行為」を表す factum から直接英語に取り入れられましたが、一方feat(偉業、離れ業)はラテン語の factum を同一語源しますがフランス語経由で取り入れられたため、もともとの「行い、行為」という意味が廃れ、「偉業、離れ業」という意味で使われるようになりました。
我々が現在一般にいう英語文法は18世紀頃に整いました。
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